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風呂敷の歴史

昭和時代 包み物から袋物への移行

国華風呂敷

第2次大戦直後から昭和30年代までの10年間は、敗戦による統制時代を背景に消費物資が欠乏し、食料の生産手段をもたない都市生活者は、衣料を農家で食物に変え、モンペ姿の主婦達が家族のために風呂敷で食物を背負って運びました。戦後、合成繊維の風呂敷が次々と製品化され、昭和34年の明仁殿下と美智子様の御成婚による和服ブームも到来して、当時の市町村合併記念風呂敷、企業創業記念風呂敷、昭和39年東京オリンピック記念風呂敷など史上空前の風呂敷需要を巻きおこしました。

昭和40年代は、従来からの風呂敷使用が手提袋による垂下運搬に大きく変化した時期でした。昭和38年に伊勢丹百貨店が顧客に紙製手提袋のサービスを開始して以来、各百貨店・小売専門店でも同様のサービスを行うようになり、紙袋による運搬は急激に消費者間に浸透していきました。

昭和44年頃には現代感覚のデザインによる紙製手提袋がいたるところで市販され、若者達が先を競って愛用するところとなり、紙のショッピングバックは流行現象を巻き起こしました。

昭和45年には渡辺製作所の手提用の角底袋製機が稼動し、毎分2000袋の高速生産を行い高度成長時代のデパートやスーパーの大量需要に対応したのです。これと同時期に、和装小間物メーカーを中心として製作された布製手提袋も多様な展開を見せました。布製袋は紙質強度に不安をいだく中年婦人層の支持を得て、百貨店には販売コーナーが設置され、急速にショッピングバックと呼ぶ袋物市場が構築されました。こうして包む文化を表象する風呂敷にとってかわり、袋物・鞄に表現される詰め込む文化の時代が定着しました。「いくら作っても余ることはない」といわれていたふろしきも、袋物の市場が拡大するにつれ生産は、これ以降減少傾向を辿ることになりました。このことは風呂敷卸問屋間においても必然的に布製袋を取扱うことになり、風呂敷販売の減少傾向がつづく一方で、皮肉なことに布製手提袋の販売によって総売上額は従来以上に増大しました。この時代の袋物の多くに、縞やローケツ染など風呂敷生地の使用や風呂敷のもつ容積変化可能の機能性を袋物に転化しようとする努力がうかがえます。

紙製・布製の手提袋、スーパー関係で配布するビニール袋の盛行は昭和40年代に風呂敷による人力運搬の習慣を袋に変え、鞄の普及とも相まって日常生活のなかで風呂敷を用いる運搬行為は暫時減少していきました。

国華風呂敷(ファスナーの開閉によってトップ写真のような立体の袋になります)

ふろしき卸問屋の当社(宮井株式会社)は、このころファスナーの開閉によってふろしきにも手提げ袋にもなる国華風呂敷(こっかふろしき)を開発しました。この国華風呂敷は、昭和42年から52年に至る10年間の間で400万枚も販売された大ヒット商品となりましたが、消費生活が豊かになるにつれ兼用できるものよりも用途に専用に使えるものが求められるようになり、やがては生産を終了するようになりました。国華風呂敷は、まさに包み物から袋物への過渡期に登場した商品であるといえます。

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